2012年3月定例月例会報告

 斉嬌珺氏が一身上の都合により3月定例月例会での研究発表ができなくなったので、3月定例月例会の研究発表は洪安瀾(「“在字句”の“在”の日本語訳について」:大東文化大学院生)と高橋弥守彦(「“被字句”5構造の関係について」:大東文化大学)に変更した。2人の研究発表後、活発な質疑応答があり、改めて月例会の重要性を感じた。

日時
3月24日(土)18:00~20:00
場所
大東文化会館K-301

研究発表概要

1.洪安瀾「“在字句”の“在”の日本語訳について」

 洪安瀾氏は以下のような例文を挙げることにより、“在字句”の文中における位置から、“在字句”を基本形式(例1)と文頭式(例2)、動前式(例3)、動後式(例4)、文末式(例5)に分け、日本語連語論から見る“在字句”の“在”に対応する日本語について検討した。

(1)他在床上。(基本形式)彼はベッドにいる。

(2)在床上,他躺着。(文頭式)ベッドに、彼は寝ている。

(3)他在床上躺着。(動前式)彼はベッドに寝ている。

(4)他在床上。(動後式)彼はベッドに寝ている。

(5)他插了一束花在瓶子里。(文末式)彼は花を花瓶に挿した。

 洪安瀾氏から日本語連語論を使った“在字句”の“在”の日本語訳に関する詳細な報告があった。この発表に対し、会場から日本語連語論の基本形式を挙げ、中国語の派生形式が「ありかのむすびつき」から他のむすびつきにどのように移行するのかを分かり易く説明する必要があるという指摘と例文として挙げた実例が不十分であるという指摘があった。

 

 

2.高橋弥守彦「“被字句”5構造の関係について」

①受け手+“被/为”+仕手+“所”+動詞
(1)他被/为这本人物传记所吸引。(梁鸿雁2004:219)
      彼はこの伝記物語に夢中になった。(筆者訳)
②受け手+“被”+仕手+動詞+“为/做/作/成…”+名詞性語句(徐昌火2005:245)
(2)黄河被中国人叫做“母亲河”。(梁鸿雁2004:220)
      黄河は中国人から「母なる大河」と言われている。(筆者訳)
③受け手+“被/叫/让/给”+仕手+動詞+その他 
(3)他被/叫/让/给这本人物传记吸引住了。(梁鸿雁2004:219)
      彼はこの伝記物語に夢中になった。(筆者訳)
④受け手+“被/叫/让”+仕手+“给”+動詞+その他
(4)他被/叫/让这本人物传记给吸引住了。(梁鸿雁2004:219)
      彼はこの伝記物語に夢中になった。(筆者訳)
⑤受け手+“被/给”+動詞+その他
(5)他被/给吸引住了。(梁鸿雁2004:219)
      彼は夢中になった。(筆者訳)

 “被字句”は一般に5構造に分けられ、基本構造は、上掲の③と言われているが、高橋氏は“被字句”の各介詞の現れる通時的な観点から、現在使われている“被字句”では、①が基本構造であり、その他は派生構造であるという指摘があり、基本構造から派生構造への理由が明らかにされ、両者の関係に関する詳細な報告があった。しかし、会場からは通時的な観点が不十分であるという指摘があった。それに対し、高橋氏からは通時的な観点は、これまでに王振来、张延俊、贺阳などの専門書が数冊出されているので、そちらの意見も参考にして、さらに両者の関係を分かり易くするという説明があった。

(文責 高橋弥守彦)
 

2012年2月例会の報告

 下記により月例会を開催されました。以下は発表者の論文の概要であり、会場からは適切なアドバイスや鋭い質問があり、充実した月例会となりました。

研究発表者2名
王皓嬌(大東文化大学院生)、梁霄月(北京外大院生・交換留学生)
日時
2月18日(土)18:00~20:00
会場
大東文化会館K-401

1. 王皓嬌(大東文化大学院生)

テーマ:“又…又…”構造に用いる語順について―1音節単語の場合―

 邵敬敏(1985)では、“又…又…”構造に用いる単語は並列関係“平列性加合关系”であり、前項と後項の位置を換えても成立し、構造内の意味変化もないと述べている。

 邵敬敏の説に対し、本発表では本構造内部に用いる単語のうちの1音節の単語を調査し、本構造内部の語順に規則性があることを論じ、構造内部の出来事に対し時間を基準にして二項目を以下の3種類(ⅰ.時系列“又说又笑、又惊又喜、又湿又冷”、ⅱ.同時間性“又爱又恨、又叫又哭、又推又挤”、ⅲ.瞬間性“又脏又乱、又大又圆、又快又好”)に分けている。

ⅰ.時系列“又说又笑、又惊又喜、又湿又冷、……”:時間の経過とともに出来事が発生する。文内部または言語環境の意味関係により、前項と後項の出来事は入れ替えられない。ただし、下記の例文のように入れ替えている表現もあるが、これはやはり文内部や言語環境との関係により時系列で入れ替えているのであり、機械的に入れ替えられるわけではない。ちなみに、例(2)(3)の“又…又…”で表す出来事は、時系列によって発生しているので、それぞれ語順を逆にする表現は内容から見て相応しい表現とはいえない。

(1)简直像个刚上学的小孩子一样,老师高兴得手舞足蹈,又说又笑。

(2)“她的妈妈可能不喜欢她?”老师想。于是老师去买了一套美丽的蓝色连衫裙,送 给了小姑娘,孩子接过这礼物,又惊又喜,她飞快地向家里跑去。

(3)这些消息使高夫人又喜又惊:喜的是,她如今已经,确信闯王和高宗敏等几位大将都平安无恙。

ⅱ.同時間性“又叫又哭、又踢又踩、又暗又亮、……”:二項目の出来事が同時間帯に同時(例4,5)または交互(例6)に行われる場合である。二項目の出来事は、一般には一音節の動詞だが、ごくまれに一音節の形容詞(例7)の場合もある。二項目は運動が同時または交互に行われるので、入れ替えることができる(例1,2)。

(4)妻在产下女儿之前31分钟才上床。活的。很健康。又叫又哭。金色头发。

(5)随后她又哭又叫,呼唤着仆人。

(6)我在房间里先是绕圈子疾行,再是把枕头当成足球又踢又踩。

(7)现在时兴染发,如果你的头发又暗又亮,人家也许会认为你是染的。

ⅲ.瞬間性“又脏又乱、又大又笨、又快又好、……”:物事に対する瞬間的な二つの認識を表す例である。以下の3類に大別でき、それぞれ規則性があるので、語順は入れ替えられない。

(8)盖特街却仍是老样子:又脏又乱。

(9)我随身背着照相机,是那种又大又笨的“斯比·古劳”牌的。这当时就象征着新闻记者的身份。

(10)讨论的问题是如何又快又好地恢复被战争破坏了的生产。

 例(8)は単語“脏乱”として日常生活で使われているので、語順を変えると不自然に感じられる。例えば“又乱又脏”として使うと、違和感がある。例(9)の“大”と“笨”は“大笨钟”のように限定語としてよく使われる。例(10)の“又快又好”の意味は、生産設備に対して迅速を前提として出来れば立派に完成させることである。“快”を最優先にして、“好”の条件を満たす。ものに関連する形容詞“快”が先に用いられ、評価を表す形容詞“好”が後で用いられる。これらの形容詞“快、好”は一般にはよく単独で使われ、形容詞を用いて人間の感覚で瞬間的に判断する例である。

 

 

2. 梁霄月(北京外大院生・大東文化大学交換留学生)

テーマ:「ている」と時間副詞“正、在、正在”との関係について

 日本語の文末表現「ている」は、筆者の調査によれば、中国語ではよく時間副詞“正、在、正在(例1)”、動態助詞“着”“过(例2)”、語気助詞“呢”“了(例3)”などと対応する。場合によっては、これらの品詞が二つ用いられている場合(例4,5)もある。

(1)彼はご飯を食べている。 (作例)
     他正在吃饭。 (筆者訳)
(2)彼は三年前に富士山に登っている。 (作例)
     他三年前登过富士山。 (筆者訳)
(3)論文はすでに書き終わっている。 (作例)
     论文已经写完了。  (筆者訳)
(4)外で雨が降っている。       (作例)  
     外面正下着雨。 (筆者訳)
(5)みんな待っている。        (作例)
     大家在等着呢。 (筆者訳)

 本稿では「ている」と時間副詞“正、在、正在”の関係について論じる。特に時間副詞は中国語の文法者や専門書ではほとんど同じ意味のように扱われているが、実際には用法が若干異なるので、先行研究と実例とにより、「ている」に対応する3種類の時間副詞の用法上の違いを明らかにする。

(6)a 祥子!门口有位小姐找你;我正从街上回来,她跟我一直在打听你。《駱駝祥子》
       祥子!女性のお客さんは今玄関にいるよ。ちょうど街から帰ってきたところで、
       ずっとあなたのことを聞いてたわよ。 (筆者訳)
     b 明天九点我正上课呢。 (《现代》p106)
       明日の九時はちょうど授業をしているところよ。(筆者訳)
(7)a 也许察觉到我在暗暗注意他,吉茨忽然抬起脸朝我一笑,…《蟻山》
       見られているのに気づいたか、突然吉茨は顔を上げて、私にニコッと笑いかけて
       きた。(筆者訳) 
     b“你爸爸现在在干嘛?” (《现代》p106)
       “お父さんは今何をしている?” (筆者訳)
(8)a 老栓正在专心走路,忽然吃了一惊,远远看见一条丁字街,明明白白横着。《薬》
       栓さんは歩くことに集中していたが、遠いところに丁字路が一本はっきり見えた
       ので、びっくりした。                (筆者訳)
     b 我并不怎么懂业务,正在学习。《女店員》 (《现代》p106)
       仕事の内容がよく分からないので、今勉強しています。(筆者訳)

 “正”のプロトタイプ用法は、その空間での瞬間性を表す語句の標識(例6a)である。“在”のプロトタイプ用法は、その空間での時間の長さを表す語句の標識(例7a)である。“正在” のプロトタイプ用法は、その空間での時間の長さを表す語句を瞬間でとらえる標識(例8a)である。例(6b)の“正”は“正在”と同様、時間の長さを表す語句を瞬間でとらえる標識であり派生的用法である。例(7b)の“在”は、時間的場面での時間の長さを表す語句の標識であり派生的用法である。例(8b)の“正在”は時間の長さを表す語句を瞬間でとらえるプロトタイプ用法であるが、本用法は時間の長さを表すので、“在”では代替できるが、瞬間性を表す“正”では代替できない用法である。

『日中対照言語学会』1月例会の報告 

日時
1月21日(土)18:00~20:00
場所
大東文化会館K-402

 日中対照言語学会1月例会は中島克哉(「反語文と疑問文の曖昧さについて」)、洪安瀾(「日本語連語論から見る“在字句”の文構造」)(大東文化大学院生)の2名により研究発表が行なわれた。同大学の高橋弥守彦が司会を担当した。

1.中島克哉「反語文と疑問文の曖昧さについて」       

 本発表は反語文と疑問文の曖昧さをいかに解決するかの研究である。反語文は、一般に疑問代詞や語気助詞、副詞などを用いる疑問文形式により作られる。多くの場合、これらを用いて疑問文も作れる。中島氏が反語文の研究を進めていく過程で、専門家の挙げる例と実例を分析していくと、反語文と疑問文とを判別する基準が曖昧であることが問題点として浮上してきた。中島氏の取り上げた問題点は以下の3点である。

ⅰ.反語文と疑問文の定義
ⅱ.反語文と疑問文の曖昧さ
ⅲ.反語文の日本語訳における曖昧さ

 今回、中島氏が取り上げた問題は語気助詞と疑問代詞を使って作る反語文と疑問文とである。特に専門家の挙げる例文は前後のない例文が一つだけであるために、反語文ともとれるし、疑問文ともとれる曖昧な文がある。たとえば、以下のような文である。

(1)你不是明天去京都吗?
      君は明日京都へ行くんじゃないか?(反語文)
      君は明日京都へ行くんじゃないの?(疑問文)

 中島氏は上掲の例文を反語文としてとらえるのであれば、[君は明日京都へ行くんじゃないか?]ではなく、一般に言われている反語文の定義により、[君が京都へ行くのは明日のはずだ。]と、訳すほうがよいと主張している。

 中島氏は、反語文と疑問文とが曖昧な理由を二つ挙げている。一つは、一つの文では日本人にはもちろんのこと、中国人にもどちらか判断しにくい文がある現実である。一つは、あまり感情を表面に出さない日本人は、日常生活の中で一般的にあまり反語文を使わないが、よく感情を表面に出す中国人は、反語文をよく使う傾向にある。そのため、日本語の反語文に訳すことはかなり難しいことが挙げられる。

 反語文であるのか疑問文であるのかが曖昧な文を明確に区分するため、中島氏は本発表で、反語文と疑問文との違いを主に「現代中国語文法総覧」に基づき、『中国語学講読シリーズ 中国ショートショート』の言語事実を分析することにより明らかにした。中島氏は上記に挙げた3点の問題を以下のように解決した。

ⅰ.反語文は肯定型式であれば否定の意味、否定型式であれば肯定の意味であり、
    語気により語意が強く表現されている。疑問文は分からないところを尋ねる文である。
ⅱ.反語文か疑問文か曖昧な場合は言語環境によって解決する。
ⅲ.日本語は反語文をほとんど使わないので、反語形式ではなく、反語文の定義に
    沿った訳文にするほうがよい。

 これに対し、会場から反語文であるのか疑問文であるのか判断しにくい典型的な例文を挙げ、反語文に対する先行研究と中島氏の定義をさらに明確にする方がよいとの指摘と、一つの文には反語の意味が70%と疑問の意味が30パーセントある文もあるという指摘があった。

 

 

2.洪安瀾「日本語連語論から見る“在字句”の文構造」 

 洪安瀾氏は以下のような例文を挙げることにより、“在字句”の文中における位置から、“在字句”を基本形式(例1)と文頭式(例2)、動前式(例3)、動後式(例4)に分け、その特徴を説明している。

(1)他''在床上''。(基本形式)彼はベッドにいる。
(2)''在床上'',他躺着。(文頭式)ベッドに、彼は寝ている。
(3)他''在床上''躺着。(動前式)彼はベッドに寝ている。
(4)他'''躺'''''在床上''。(動後式)彼はベッドに寝ている。

 これらは、一般には「ありかのむすびつき」として訳されるが、上掲の例文であっても、例(2)(3)(4)はいずれも[彼はベッドで横になっている]などとも訳せるが、この場合は「ありかのむすびつき」ではないとしている。上掲の文頭式(例2)、動前式(例3)、動後式(例4)は他のむすびつきに移行する場合があるとして、それぞれ具体例を挙げ、説明をしている。たとえば以下のような文である。

(5)睡在了呐喊山上的小庙里。(语料库《插队的故事》)
      呐喊山の小さな廟で寝た。(語量庫『遥かなる大地』)
(6)村里的一群孩子也提了小镢,追在我们的屁股后头。(语料库《插队的故事》)
      村の子供たちも小さな鋤を持って、われわれの後を追ってきた。(語量庫
      『遥かなる大地』)

 また、“在字句”に関する中国人と日本人の学生に対するアンケートにより、以下のような両国の学生の犯しやすいそれぞれの問題点を指摘し、解決の方法も挙げている。

ⅰ.中国人学習者の場合、「空間詞+で」と「空間詞+に」のむすびつきを混乱している
    間違いが多い。「行為の発生する場所」と「事物の存在する場所」を連語論により
    明らかにする。
ⅱ.日本人学習者の場合、“在字句”を「へ格」、「から格」、「を格」に訳すべきところに
    問題点が多い。場所に関する名詞の格の違いを連語論により明らかにする。特に
    「到着する目的地」に対する理解が薄い。

 会場からは日本語連語論の基本形式を挙げ、中国語の派生形式が「ありかのむすびつき」から他のむすびつきにどのように移行するのかを分かり易く説明する必要があるという指摘があった。

 

日中対照言語学会11月定例月例会報告

 日中対照言語学会11月定例月例会(11月19日[土]18:00~20:30)は、大東文化会館K302で開催された。研究発表者は2名、白石祐一(大東文化大学非常勤講師)、テーマは「主語が人を表す名詞述語文について」、高橋弥守彦(大東文化大学)テーマは「日中対照関係から見る“进+空间词”について」、司会は石井宏明(東海大学)が担当した。持ち時間は各1時間、このうち発表時間は約45分、質疑応答は約15分間行われた。会場からは盛んな質問があり、予定を約30分間オーバーした。

(1)主語が人を表す名詞述語文(白石裕一 中央大学兼任講師)

 中国語の名詞述語文は“是”、“有”、“V着”、“V”といった動詞が含意(“隠含”)されている。そして、このような含意されている動詞に基づいて、名詞述語文は“是”含意型名詞述語文、“有”含意型名詞述語文、“V着”含意型名詞述語文、“V”含意型名詞述語文に分類することができる。また意味論的に、“是”含意型述語文は前項と後項を結びつけていて、“有”含意型名詞述語文は「存在」「所有」を表し、“V着”含意型名詞述語文は「持続」を表し、“V”含意型名詞述語文は「未然」や「経常的」な意味を表している。 

 白石氏は、名詞述語文をこのように分類することによって、人の属性を表す複文や文群に現れる名詞述語文が“是”含意型名詞述語文であり、人の状態を表す複文や文群に現れる名詞述語文が“有”含意型名詞述語文であると説明した。

 この発表に対し、会場から主として3つの質問があった。一つは、名詞述語文を動詞の「省略」というと、動詞省略文になってしまう。名詞がなぜ述語になるのかを考える必要がある。二つ目は、“我是二十岁。”は談話の冒頭にいきなり現れることはないとの指摘があった。三つ目は二つ目と同様の指摘と、“是”の意味の多義性の指摘があった。

 

 

(2)日中対照関係から見る“进+空间词”について(高橋弥守彦 大東文化大学)

 日本語の「空間的な進入のむすびつき」は一般に「ニ格の空間詞+入る」で表される。これに対応する中国語の一つとして、“进+空间词”が挙げられる。しかし、両者は対応関係にない場合もある。たとえば、“进+空间词”が同一空間であれば、「空間的な進入のむすびつき」を表し、異空間や2点の場所が示されていれば、「空間的な着点のむすびつき」や「空間的な移りのむすびつき」を表す。各むすびつきの中で、動詞と名詞とに意味変化がおきる場合もある。

 “进+空间词”を用いて4構造“进屋”“走进屋”“进屋来”“走进屋来”が作れる。連語論の観点からみれば、このうちの“进屋”「位置移動の動詞+空間詞」が基本であり、それに動態移動の動詞や趨向移動の動詞が加わり、他の3類の構造が作られる。趨向移動の動詞“来/去”はいずれも視点のある移動を表し、そのあとに空間詞をとれるか否かにより、転移義(“他跑进餐厅去厕所了。”[彼は走ってレストランへ入りトイレへ行った。])と趨向義(“他跑进操场去了。[彼は走ってグラウンドへ入って行った。]”)とに分かれる。転移義であれば、空間詞を伴い「空間的な移りのむすびつき」“去厕所”を作る。このように分析をすれば、空間詞は位置移動の動詞“进”と連語を作ることが明白である。

 

日中対照言語学会10月定例月例会報告

 日中対照言語学会10月定例月例会(10月15日[土]18:00~20:20)は、大東文化会館K401で開催された。研究発表者は2名、石井宏明(東海大学非常勤講師)、テーマは「昔話を使った発話訓練に関する報告」、高橋弥守彦(大東文化大学)テーマは「中日対照関係から見る中国語の受身表現について」、司会は豊嶋裕子(東海大学)が担当した。持ち時間各1時間、発表時間は約45分、質疑応答は約15分間行われた。会場からは盛んな質問があった。

(1)昔話を使った発話訓練に関する報告(石井宏明 東海大学・非常勤)

 中国語の基本的な文法と単語は学んでいるが、中国語での発話がなかなかできない学生を対象に報告者は発話訓練を実施した。

 学生に発話させることを訓練の第一目標とし、発話で使われた文法の正確な知識を定着させることを第二目標とした。発話の背景として場面構成が複雑でなく、基本的な単語が使われ、「文芸作品」のように表現の細部までが固定されてなく、あらすじに肉付けする、つまりは表現に「ゆれ」があるとされる昔話を使うことにより、学生が基本的な単語で発話し、表現の「ゆれ」により、自分で考え想像したことを中国語で発話することを報告者は期待した。

 この訓練について発話量の変化、使われた文法知識の定着状況を検討し、また学生の発話を観察した結果、前者の発話を受けて、後者がそれに応えると言った会話のような発話が見られたこと、会話を続けるために必要なCSのパラフレーズを発話で使っていること、「ゆれ」として学生が自ら考えたことを発話していることなどから、この方法は発話だけではなく、会話の訓練として使用できる否かを検討し報告した。

 

 

(2)中日対照関係から見る中国語の受身表現について(高橋弥守彦 大東文化大学)

 周知のとおり、受身表現として、日本語には受身文があり、中国語には“被字句”・語彙上の受身表現・意味上の受身表現がある。日本語の受身文は動詞の形態として「レル」「ラレル」があり、中国語の“被字句”は“被”があるので、両者がともに受身表現であることは分かり易い。しかし、語彙上の受身表現と意味上の受身表現は受身表現としての標識がないので、受身表現であるか否かの判断が難しい。

 本発表では、日本語の受身文と中国語の“被字句”を分析することにより、文意から中国語の語彙上の受身表現と意味上の受身表現を分析し、発表者は以下のような意味構造のある文を受身表現とした。

受身表現の意味構造:受事主体+特定される他からの影響のある出来事

 この基準により、受身表現であるか否かを判断する。この基準によると、語彙上の受身表現と意味上の受身表現は、受身表現とそうではない文とに分かれる。

2011年7月例会のお知らせ

日中対照言語学会員各位

 下記のとおり,2011年7月の研究月例会を開催いたします。会員の皆様におかれましては、万障お繰り合わせの上、ご出席くださいますようご案内申し上げます。

日時
2011年7月16日(土)18:00~20:00
場所
甫水会館202
所在地
〒113-0021東京都文京区本駒込1-10-2
電話
03-3945-7224
利用駅
■都営地下鉄三田線白山駅、徒歩5分。
■東京メトロ南北線本駒込駅、徒歩5分

[発表]
発表者1):神野智久(大東文化大学)
テーマ:『現代日本語の連語論』に対応する中国語
―「うつしかえのむすびつき」を中心に―
要旨:対照言語研究において、ソースランゲージ(日本語)の理論に当てはまる言語事実に対応するターゲットランゲージ(中国語)を見ることは重要な作業であることが考えられる。奥田靖雄を中心とする言語学研究会によって開拓された現代日本語における連語論は、鈴木康之によって『現代日本語の連語論』に集約された。本書において展開される「単語同士の具体的な意味関係による日本語の構造分類」に基づいて、対応する中国語を分類し、これからの日中対照言語研究においての『現代日本語の連語論』の必要性を、「うつしかえのむすびつき」を例に示す。

発表者2):続三義(東洋大学)
テーマ:≪“動詞+数量詞+人称代詞”和“動詞+人称代詞+数量詞”―従“問ni一下”和“問 一下ni”談起
要旨:実例から“問一下ni”の成立可能な場合を明かにすると同時に、“問ni一下”と“問 一下ni”の異同についても追及する。

日中対照言語学会事務局
 

2011年6月例会報告

 日中対照言語学会6月定例月例会(6月11日18:00~20:00)は、大東文化会館K401で開催された。研究発表者は王学群(東洋大学)、テーマは「“了1”和“了2”」、司会は高橋弥守彦(大東文化大学)が担当した。発表は約一時間、質疑応答も約一時間行われた。会場からは盛んな質問があり、王学群氏は丁寧に答えていた。

 王学群氏は“了”を“了1”と“了2”に分けず、“了”の基本的な意味は“达界”であるとし、“达界”と“了”の文法的な意味の関係を詳述した。本研究発表は以下のようにまとめられるであろう。

(1)“了”の基本的な意味

 “了”という文法マーカーについて、王学群氏の主張する“了1”と“了2”に分けない具体的な文構造や文脈などに縛られる場合の文法的な意味=“特定语法义”、および“特定语法义”を束ねる共通の文法的な意味=“达界”を“了”の基本的な意味とする。

 王学群氏によれば、“终了界限达成、整体性观察、开始界限达成”は、“了”という文法マーカーの文構造や文脈に縛られた具体的な文法的意味であり、この三つの具体的な文法的意味を束ねるのは前述の“达界”である。“达界”は、この三つの意味から抽出した上位概念であり、“终了界限达成、整体性观察、开始界限达成”は、その下位概念である。

(2)特殊な文における“了”の働き

 本発表で王学群氏は、“了”というマーカーが特殊な文(たとえば、“太好了!”)に用いられるときの文法的な意味についても言及した。その結果、このような特殊な文においても、“达界”からの派生的な用法として考えられる場合もあるものの、“了”は、やはり“达界”によって解釈することが可能である、という考えを明らかにした。

(3)なぜ一つの文に“了”が二回使えるのか

 この問題について、王学群氏は、“了”は、一回は形態論レベルで動詞の語尾として用いられ、一回は構文論レベルで文末に用いられ、両者は異なる文法レベルであると分析している。両者は異なる文法レベルで用いられ、異なる働きをしているので、同一文中に同時に使うことが可能であると考えている。また、語尾的に用いられる“了”が省略できるのは、構文論レベルでの“了”が上位概念にあるものだからである、と考えている。

(4)[情态句]の出現説への批判

 本発表では、最後に彭利贞(2007/2009) で[情态句] としている“了”を用いる文について考察した。そういう場合であっても、“了”の内的時間構造の意味を保っているので、決して「モダリティ」を表すのに使われているわけではないことを明らかにした。

(文責 高橋弥守彦)
 

Last-modified: 2013-12-07 (土) 12:22:25